
要点
- 民主派が圧勝した中で、北京派が議席を守った地域もある。
- 初見のイメージでは、新興住宅地で北京派が健闘したように見える
民主派の圧勝は小選挙区制度によって拡大化されているが、小選挙区制には民意を大きくスウィングさせて法制度を変革させる機能があり、それは従前から理解されていることでもある。つまり、民主派の圧勝は圧勝として受け止めるべきである。
ただし、このような選挙結果の中でも、北京派が議席を守った地域も存在する。WIKIの説明の中に、それを上手く説明した図があったので、それをそのまま添付する。
これは香港の地図に合わせて選挙区をドット化しており、黄色のドットが民主派の議席獲得地で、青色が北京派の確保地域になる。これでも明らかのように民主派が圧勝している。一方で、北京派は新興住宅を中心に議席を確保したように見える。
この図の下側にあるのは香港島で、上側にあるのが九龍半島になり、その間にあるのがビクトリア湾になる。その湾に沿う形で、北京派が勝った地域が九龍サイドに散見される。これらのエリアは幾つかの区に分かれており、右側にあるのが觀塘区で、真ん中にあるのが九龍城区になる。そして、それらの地域の青色ドットの場所に新興住宅地がある。
元々、香港には九龍城と呼ばれるスラムがあった。歴史的に言うと、アヘン戦争で香港を割譲した後も九龍城だけは清朝に属すことになり、一種の治外法権となってしまった。つまり、清朝の管轄化にはあるもののイギリス植民地内の飛び地になっており、イギリスも清朝も統治し切れない場所になっていた。それが時代を経ると共に、香港の犯罪者が逃げ込む場所となり、最終的にはスラム街になった。
その状態が解消されるのが1980年代であり、九龍城が取り壊されるのが1990年代である。つまり、九龍城が再開発されるのはそれ以降になる。それだけでなく、この九龍城区には元々空港があった。現在の香港国際空港が開港するのが香港返還後の1998年であり、旧空港は依然として再開発途上にある。この九龍城と旧空港がある選挙区を以下の地図で示す。
この地図と上のドットマップを組み合わせると、北京派が強かったのは、丁度これらの再開発地域であったことが分かる。そして、同様のことは觀塘の青いドット部分にも当てはまり、そこも新たに開発された住宅地である。
これらがどれくらいの新興住宅地であるかはGOOGLE MAPでも確認できる。北京派はこれらの地域の選挙で優勢であった。これだけの分析でも正しく判断できているような気はするが、次はもう少し別の角度からこの結果を考えて見る。