
- 通勤電車はこれまでの数ヶ月間感染源になったとは言えないが、それでも満員電車はリスクフリーではない。
- 全体の感染リスクを下げるためには、通勤のあり方を見直すだけでなく、そもそも東京一極集中を考えなおすべきである。
- 小中高はともかく、それ以外の学校は感染リスク低減施策が行いやすく、若いうちの勉強時間を大事にすべきである。
緊急事態宣言がいつ終わるのか分からないが、それが開ければ、あるいは一定の時期が来れば、失業状態にならない限り、サラリーマンは通常の就業を再開する。通勤の手段として田舎では自動車がメインだが、都市部では電車での通勤が普通である。その際、問題になるのが満員電車である。
満員電車は明らかに人と人の間に距離がなく、感染リスクは確実に存在する。ただし、TWITTERにも書いたように、データ的には通勤電車で感染が蔓延しているということはない。通勤電車がメインの感染源であれば、人口も多く、通勤者も多く、また通勤時間も長い多摩東部の感染者が多くなるはずだが、現実的には、東京の感染者は23区内中心部西側に集中している。つまり、夜の街のリスクがはるかに高いことを意味している。
結局、周りとは会話をしない状況で、マスクを着用していて、窓を開けて換気していれば、感染リスクは下げられる。とは言え、人が集まっていれば感染リスクは高まるため、更にリスクを抑えるためにはマスクの着用を義務化することと、少なくとも、発熱している人が電車に乗らないようにする必要がある。
現実的には、電車の利用者の体温をどこかまでモニタリングが出来るかは分からず、結局、それぞれの人が自ら検温をして発熱している際には行動を抑えるしかない。それは特に難しいことではなく、発熱していれば少なくとも家で休むということである。社会自体がそのような普通の行動を受け入れるべきで、そのようなマインドセットに変わるだけで、全体の感染リスクは下げられる。
それ以上に、日本の企業は根本的に働き方を変える必要があるだろう。テレワークやフレックス等、今でも定時に出勤して働く必要はない方法はある。もちろん、現場に行かなければならない就業者も多いので、全ての人が今までとは違う働き方が出来るわけではないが、一部の人が働き方を変えるだけでも全体のリスクは下げられる。どんな対策を採ったところで、当分の間、新型コロナウイルスは居残るはずであり、感染再拡大がいつ起こるかも分からない。その前提で、GW以降に順次働き方の見直しを行うべきである。今のところは緊急事態として行動しているが、もっと本格的に働き方を見つめ直す必要がある。
それと同時に、果たして、このままビジネスは東京偏在し続けるのかという問題がある。結局、人と人が顔を合わせるという従来の固定観念の中で東京集中が起こっていたわけであり、それが今変化して行くのであれば、東京にビジネスが集まっている必要はない。特に、新型コロナウイルス感染症は東京のセキュリティが脆弱であることを示しており、企業は本社や従業員の配置を考え直すべきである。
生活の中で通勤と同じように定常的なものが通学である。個人的には、学校に関してはよく分からない。自分の学校教育に対する認識は一般から大きくかけ離れているため、いろんな意味で参考にはならない。ただし、学校教育が子供に勉強を教える場だという前提に立てば、学校を閉鎖すること自体が学校の存在意義の否定だと思う。新型コロナウイルスは日本中で猛威を振るっているわけではなく、面積的に言うと、大部分の地域で小中高の授業再開はできる。そもそも、子供は新型コロナウイルスで重症化するリスクが低く、取り立てて、学校を閉鎖する理由はない。
それに学校が勉強を教える場所であれば、普通にオンラインで授業をやれば良いと思う。このような状況下だから、どう考えても実質的にオンラインでの教育が広がっているはずであり、ただ単に現状において学校が開いていないだけだろう。結局、学校閉鎖は先生、保護者、行政等の関係者が学校にどのような意義を見出しているかという問題であって、その捉え方によって閉鎖の方針は決まる。話は戻るが、勉強を教える場所なのであれば、普通にオンラインでやれば良い。そうでないのであれば、普通の家庭は学校以外の形でオンラインで勉強するだけだと思う。
小中高以外の学校はオンライン授業も出来れば、そもそも授業自体も分散して行える。学校で授業を行ったとしても教室内で物理的距離を生み出すことは可能であり、それに加えて、換気と消毒が必要になる。生徒はマスク、手洗い、社会的距離を行い、普通に学校生活をすれば良い。彼らの新型コロナウイルスに対する耐性はどの年代よりも強く、小中高以外の学校をやらない理由は更に薄い。
結局、日本全体に一律に自粛を行うため、本来的なリスクの高低感が基本的に考慮されていない。それだけでなく、勉強というものが不要と見なされているような気もする。自分が学校教育に対する認識が一般からかけ離れているのは、認識が過去の経験に基づいているからであり、勉強が一般的に不要だと見なされているのも、おそらく政策決定者や関係者の過去の経験に基づくものだろう。個人的には、勉強は必要だと思う。若いうちの方が学べることは多く、その時間を無為に過ごすのは勿体ない。学校が勉強を教える場所なのであれば、どんな形でも勉強を教えるべきである。
ただし、それでも学校を再開するかどうかは、それぞれの経営者の問題かも知れない。