国産ワクチン開発の遅れは厚労省の薬承認の仕組みに問題がある

  • 日本の薬開発能力は世界的にみて、それほど劣っていない。
  • 厚労省の薬承認のプロセス見直しが遅れをとっているため、薬上市までの時間が他国よりも掛かっている。
  • 問題をちゃんと把握しないと、政府がお金を付けても問題は解決されない。

日本ではまだ国産コロナワクチンが上市されていない。この原因は必ずしも基礎開発力の低下にあるわけではない。いろんな意見を言うことはもちろん自由であるが、問題をちゃんと把握しておかないと、その対策において大きな問題を生じる。

<新型コロナ>国産ワクチン、3年前に治験直前で頓挫 東大・石井教授「日本は長年、研究軽視」のツケ今に

https://www.tokyo-np.co.jp/article/95790

 この東京新聞の意見通りあれば、日本政府は薬の基礎開発研究にお金を付ける必要があるという結論になる。逆に言うと、これまでに基礎開発研究にもっと予算を回していれば、どこの国よりも早くコロナワクチンが開発されたということになる。それは本当だろうか?

 時々書いているが、利害関係者が自らの利益になる論理を述べる時は、一旦立ち止まって、それが正しいのかどうか、ちゃんと考える必要が常にある。

 今回のコロナワクチンに関して、日本の基礎開発力がどのような状況だったかを考える上で、どのタイミングで治験を開始したかが重要なメルクマールになる。コロナワクチンは最終承認を受けて上市されなければ一般的には使用できないが、ワクチン自体は治験を開始した段階で出来上がっている。

 日本の場合、アンジェスが治験を開始したのは2020年6月30日である。

アンジェスのワクチン、6月30日治験開始 大阪市長

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60418800W0A610C2AC1000/

 薬の治験はどこの国でも同じでフェーズ1-3を経て、その後に最終承認を受け、新薬が上市される。ここでいう治験の開始日はとはフェーズ1が始まった日を指しており、アンジェスのコロナワクチンは6月30日から始まっている。それは同時に、アンジェスのワクチンが6月30日までに、機能的には出来上がっていることを意味している。ただし、それが実際に薬効を持っているかどうかはするかどうかは治験を経なければ分からず、また最終承認を受けないと一般利用できない。

 一方で、モデルナのコロナワクチンの治験開始は2020年3月15日である。

First Participants Dosed in Phase 1 Study Evaluating mRNA-1283, Moderna’s Next Generation COVID-19 Vaccine 

https://investors.modernatx.com/news-releases/news-release-details/first-participants-dosed-phase-1-study-evaluating-mrna-1283/

 おそらく、モデルナが一番最初に治験を行ったと思われる。あるいは、少なくとも、現在までに上市されているコロナワクチンのうち、最初に治験が行われたのはモデルナの薬である。これは実は相当なスピードであって、中国がコロナワクチンのゲノム情報を発表したのは2020年2月4日のことである。

【感染症】中国に出現した新興コロナウイルスのゲノム配列

https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/pr-highlights/13205

 このゲノム情報がなければモデルナはワクチンを作れなかったため、モデルナはおそらく一ヶ月以内にワクチンを作り上げており、その後、3月15日からワクチンの治験を開始している。

 ここで重要なのはモデルナという存在である。モデルナはコロナワクチンが出来るまで薬をちゃんと上市できていなかったバイオベンチャーである。ただし、その技術力は高く評価されており、市場からは資金が調達できていた。つまり、政府支援とは関係のない会社が一番最初にコロナワクチンの合成に成功している。

 この事実は日本政府がワクチン開発の支援を長年怠っていたから、日本でコロナワクチンの開発が遅れたという論理を根底から覆す。冷静に考えてみると分かることだが、モデルナはバイオベンチャーであり、一番最初にアメリカで上市されたファイザーの薬はBionTechのワクチンを使っている。

 モデルナは一番最初に治験を始めているが、薬の上市という意味ではファイザーに後れを取っている。ファイザーは他社製のワクチンを導入して共同開発することで、お金の掛かるフェーズ3の治験のリスクを負った。その結果、アメリカではファイザーが一番乗りになり、モデルナは資金力では負けたものの、治験自体には政府支援もあって、それなりに早く最終承認を受けることになった。

 ここで、これらの会社を含めて、どのようなタイミングで治験が開始されたのかの見てみる。

2020/2/4コロナウイルスのゲノム情報発表
2020/3/15モデルナ治験開始
2020/4/17シノバック(中国)治験開始
2020/4/23オックスフォード治験開始(後にアストラゼネカと共同)
2020/5/5ファイザー治験開始
2020/6/30アンジェス治験開始
2021/3/22東大・第一三共治験開始

アンジェスのワクチン、6月30日治験開始 大阪市長

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60418800W0A610C2AC1000/

第一三共・KMバイオ、治験開始 コロナワクチン、安全性確認

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021032200745&g=eco

Sinovac Announces Commencement of Phase I Human Clinical Trial for Vaccine Candidate Against COVID-19

https://www.businesswire.com/news/home/20200417005119/en/Sinovac-Announces-Commencement-of-Phase-I-Human-Clinical-Trial-for-Vaccine-Candidate-Against-COVID-19

PFIZER AND BIONTECH DOSE FIRST PARTICIPANTS IN THE U.S. AS PART OF GLOBAL COVID-19 MRNA VACCINE DEVELOPMENT PROGRAM

https://www.pfizer.com/news/press-release/press-release-detail/pfizer_and_biontech_dose_first_participants_in_the_u_s_as_part_of_global_covid_19_mrna_vaccine_development_program

Oxford COVID-19 vaccine begins human trial stage

https://www.ox.ac.uk/news/2020-04-23-oxford-covid-19-vaccine-begins-human-trial-stage

  この表から明らかなように、アンジェスが治験を開始するのはそれほど遅れていない。確かに、モデルナの治験開始は早いが、それでも三ヶ月長の差でしかない。また、アメリカで一番最初に上市されるファイザーとは二ヶ月弱の差であり、アストラゼネカが最終的に関わるオックスフォードの薬とも二ヶ月ほどの差である。ちなみに、中国のシノバックの治験も2020年4月に開始されている。

 つまり、日本とアメリカや中国、あるいはイギリスとの基礎開発力の時間差は2-3か月である。ここに技術力の差があると言えば、あることになるが、これは根本的な問題ではない。

 問題はシノバック、モデルナ、ファイザー、アストラゼネカの薬が既に上市されているのに対して、日本の薬が依然として上市されていないというところにある。純粋に開発が2-3か月遅れたのであれば、日本でも国産ワクチンが2-3か月後に利用できる事になる。先行する薬が2020年12月に上市されているので、国産ワクチンは既に利用可能でないと話が合わない。しかし、実際にはアンジェスの薬はまだフェーズ3にも入っていない。

 一方で、東大のワクチン治験開始は、上の表にある通り、2021年3月21日からである。その観点からすると、基礎開発力の低下がワクチンの開発スピードの遅れを導いているという論理になるのだろう。しかし、それは日本全体のワクチン開発力の低下を意味していない。

 本質的な問題は基礎開発力の低下ではなく、ワクチンの合成に2-3か月しか差がないのに、国産コロナワクチン上市までに1年以上の差が出るというところにある。つまり、問題は厚労省の薬の承認の仕組みにある。

 一つの問題として、アメリカや中国と比較した際、日本の治験は時間が掛かりすぎるという問題がある。厚労省はこの点に関して、いろんな理由を挙げるだろうが、この問題を解決しないと、どうやってもアメリカや中国には負けることになる。どれだけ基礎開発研究にお金を付けても一緒で、厚労省の承認の仕組みを根本的に見直さない限りは、日本の競争力は向上できない。

 もう一つの問題が薬の緊急承認のルールである。日本でもどうしても必要な薬に対して、簡便的に検討を行い、緊急承認することができる。しかし、このやり方が存在しているようで、存在していないようで、はっきりしない。

 例えば、海外で使用されている薬を日本で緊急承認することは比較的容易になっている。そうなると、結論は単純で、日本で時間の掛かる治験をやるよりも、アメリカで治験を行った薬を日本で承認するという方法を目指すことになる。実際に、武田薬品はそのような方向に進んでいる。

Novavax社と武田薬品による日本における新型コロナウイルス感染症ワクチンに関する提携について

https://www.takeda.com/jp/newsroom/newsreleases/2020/20200807-8192/

武田薬品のこの提携が決まったのは2020年8月7日である。この時点では、彼らは国産ワクチンを支援することも出来たが、そんなリスクを取らずに、海外で実績のあるメーカーからライセンスアウトを受ける方式を選んだのだろう。アメリカで治験がちゃんと進めば、武田薬品が国内で治験失敗するリスクは低く、企業の方針としては理解できる。

 結局、日本の問題は薬の開発力が劣っているところにはない。日本の薬市場は世界的に見ても大きく、日系メーカーは資金も知見も持っている。問題はそのような能力が今回のコロナワクチン開発では活かせなかったという点にある。

 そして、その問題の本質は厚労省の薬承認方法にある。そのあり方を変えない限り、次のパンデミックが来ても、日本は薬の開発に遅れを取ることになる。薬の基礎開発のために大学の研究者にお金を付けたところで、今回と同じように、日本の薬開発は遅れるということである。

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