要点
- 共同体内や親子内では問題が処理できなくなっており、行政が介入するしかない。
- 特に、重大事態を避けるためには行政が早期介入するしかない。
共同体が弱く、親子が孤立しているのは都会の方が多いはずである。そして、人口移動の結果、子供が多いのもまた都会である。そのような地域において、それぞれの家族の結びつきは弱く、最初から最後まで他人のままである。それが田舎とは違った都会の良さでもあるが、同時に、孤立した家庭を生み出す要因になっている。特に、少子化は子育て家庭を更に孤立化させる要因になっており、結果として、虐待が増加する要因にもなっている。
これは共同体の再生の問題ではない。つまり、村落共同体が疲弊して、それを回復すれば問題が解決するという話ではない。元々、共同体が存在しないところに多くの親子が住んでおり、周りのサポートが得にくい中で親子が孤立するケースが増えている。その中で問題が重篤化することがあり、それが虐待として現れる。
この問題の解決として、都会内に共同体を模したような中間組織を作るのは困難であり、最早、そのような方式を受け入れる住民が多いとも思えない。それに、そのような組織を作ったとしても、虐待や暴力は共同体内部で処理する問題にはならない。現在ではもう警察や児相が介入する問題になっている。結局、行政の介入には法に基づく公平性が担保されており、行政の執行は完璧ではないものの、法律に基づく解決の方が根本的には安定性がある。
また、これらの問題を親の責任にだけにしても解決しない。親だから頑張れと言ったところで問題が解決するはずがなく、そもそも孤立化してしまった親子には頼るところがなくなっている。親子間の不安に関しても最終的には行政がサポートするしかないし、虐待にまで至ると行政が介入するしかない。
それぞれの親の今後の行動に希望を抱くにしても、問題が起きれば行政に通報すれば良く、行政は早期に介入すれば良い。あるいは不安があれば行政のサポートを頼れば良いし、現状ではそのような状況にある。結局、共同体内や親子内だけで問題を解決するのは簡単ではなく、問題が起きた際には家庭内であっても行政が介入するのが普通だという認識を持った方が良い。
そして、最終的には行政が早期介入して重大事態を避ける必要がある。それは自殺を減らすという意味だけでなく、親による暴力や子供の殺害についても当てはまる。深刻な人権侵害が起こっている際には、家族間の問題に関しても行政が介入して阻止する時代になっている。
家族間の倫理がどうあるべきかとか、親はどのようにあるべきかとか、共同体はどのようにあるべきかとか、いろんな意見はあるかも知れないが、一国民としての子供の安全を守る責任は行政にもある。