「漢文は要らない」4・何故、漢文を勉強していたのか?

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要点

  • 江戸時代において漢文は武家の素養だった。
  • 明治新政府は武家の政権で、そのまま漢文を教養として残した。
  • 現代において、中国古典は現代文で読める。

漢文は日本において長らく素養と考えられていたが、一般庶民がそれを勉強していたわけではない。江戸時代において、日本では庶民にも学問が浸透していたが、読み書きそろばんが基本であった。庶民のフォーカスは実学にあり、その粋を大きく外れることはなかった。

それに対して、武家は漢文を勉強していた。それは単なる教養ではなく、武士として必要な素養であった。と言うのも、武家の文書は候文と呼ばれ、漢文の延長線上にあった。実際には、漢文に近い文書から訓読文に近い物まである文語体の一種だが、いずれにせよ漢文の用語法をそのまま援用しているため、どうしても漢文を理解する必要があった。

それ以外にも漢文を勉強する必要があり、それが史書や漢詩であった。史書の先には四書があり、儒教がある。江戸時代において支配階級は統治理論として儒教の朱子学を利用しており、漢文はその思想に近づくための手段でもあった。つまり、漢文は武家が出世していくために必要な素養であった。

一方で、漢詩は武家にとっては嗜みであった。漢詩が支配階級の嗜みになるのは奈良時代からであり、それ以降に栄枯盛衰がある。それは和歌にも当てはまり、時代によって流行り廃りがある。戦国時代以降において漢詩は武家の嗜みの一つになっており、漢詩作は自らの教養を示すことでもあった。

日本の漢文学習の背後にはこのように候文、史書、儒教、漢詩があり、江戸時代が終わるまでは必須の教養であった。その後、明治時代に至り、西洋の思想や技術を移植し始めるため、漢文や中国文化の重要性が相対的に低下する。

とは言え、明治新政府を作り上げた薩長土肥の政権は江戸幕府と同じように武家によって率いられていた。彼らは共通したバックグラウンドを持っており、その中で、漢文教育は継続されることになった。

こういう歴史背景を考えると、現代の日本人にとって漢文は必要なのかというのは尤もな問題意識である。

現代において候文は必要ではなく、儒教は日本を統治する思想体系として利用されていない。史書は現代文で読め、史記を原文で読んでいる人はほとんどいない。あるいは、三国志は有名であるものの、原文で読んでいる人はほぼいない。つまり、漢文を勉強しなくても、中国の歴史から教訓や思想を抜き出すことはできる。

漢文の教養からそれらを取り除くと、残りは漢詩だけである。つまり、現代において漢文教育をする意義は漢詩を理解することにしかない。それでは、この漢詩の問題をどのように考えれば良いのだろうか?