「新型肺炎・緊急事態宣言後」7・スポーツや旅行等の非日常

colosseum italy
Photo by Chait Goli on Pexels.com
  • スポーツ興行は一気に通常再開せず、無観客や少人数の観客から初めて、徐々に拡大する方が周りの理解を得やすい。
  • 大手のスポンサーが付いていない独立採算の興行は長期の休業要請を受け入れる体力はない。行政はビジネスの仕組みが違うことに気づくべきである。
  • 海外旅行は当分戻らず、国内旅行に向かうしかない。
  • 都会で感染が再拡大する際は、地方にも一律の行動規制を求めるのではなく、都会側の移動制限を求めるべきである。

 

現在から過去をふり返ると、どうして今年の夏にオリンピックができると思っていたのかが不思議になってくる。そのような心理状態を後知恵バイアスと言って、物事が明らかになった後から、過去をふり返って問題点を指摘することを指す。

ただし、2月後半の時点でオリンピックがそのまま開催できる可能性はかなり低くなっており、現実的にも、その辺りから今年のオリンピックは開催できますという論調が強くなる。それはオリンピックにリスクが生じていたことを同時に意味している。そして、3月前半にイタリアで感染が爆発し、その時点では既に国際的な移動を停止しなければならない状態に陥っていた。つまり、本質的には、国際イベントを行えるような状況にはなかった。

実際に、その同時期において日本国内ではサッカーやプロ野球等のスポーツ興行の多くが中止になっていた。ここでの問題は、このような興行がいつ再開されるのかという点にある。

新型コロナ対策が先に進んでいる中国でも依然として大型スポーツイベントは再開されていない。国家体育総局という部署が3月31日付けで通知を出しており、多くの人が集まるようなスポーツイベントは開催を見合わせている。中国の場合、国家が全ての権限を握っているため、政府が再開を認めるまで大型興行が開かれることはない。

一方で、台湾のプロ野球では無観客で興行が再開されている。中国とは体制が違うため、台湾ではプロ野球側に交渉の余地があったということだろう。しかし、それでも無観客であり、通常の興行は再開されていない。韓国のプロ野球は台湾に続くようで5月5日から、同様に無観客で開催されることが決まっている。ニュース記事によると、「まずは開幕戦を無観客で始める。その後、ソーシャルディスタンス(社会的距離)の方針に従って、観客席全体の10%を埋めることから始め、少しずつ増やしていく考えだ」ということらしい。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-00010001-wordleafs-base

 

本質的には社会的距離さえ維持できれば、観客を入れた興行も普通に出来るはずである。しかし、多くの人が集まるイベントに対する一般の猜疑心が高いために、少しずつ観客の人数を増やしていくのは正しい対処法かも知れない。台湾のプロ野球が無観客になっている背景には世論の配慮もあり、正しい対処法を導入すれば大型イベントが直ちに再開できるということはないのかも知れない。手順を踏みながら興行の信頼性を確保するしかない。

日本においてもスポンサーが背後に付いているようなスポーツであれば、おそらく、当分の間は廃業や倒産からは免れるだろう。そして、無観客でも再開を始め、そこから少しずつ客を入れて行く。その過程において、マスク強制、消毒、物理的距離等を導入して行くことになる。

ただし、ここでも叫ぶのは危険である。チャントや応援は感染リスクが高くなり、また、管楽器による応援も同じくらいに危険である。そういう意味では、本格的に再開していく過程でも感染リスクを低減する必要があり、当分の間は元に戻ることはないだろう。

 

それよりも問題があるとすれば、そのような恒常的なスポンサーが付いていないスポーツである。例えば、ボクシングの個別の興行にはスポンサーが付くかも知れないが、恒常的に大手のスポンサーが背後に付いているわけではない。それはプロレスや格闘技等にも当てはまり、基本的に、独立採算で個別の興行を成り立たせている業界は休業が続けば続くほど、廃業の危機が高まっていく。結局、そのようなプロスポーツは自粛要請をずっと受け入れ続けるのは不可能であり、どこかで再開されていくしかない。

行政の側からするとプロスポーツには差がないように見えるのかも知れないが、どのような資金の流れになっているかは重要であり、スポンサーが付いている仕組みでなければずっと自粛を求めるのは不可能である。一方で、興行主が独自に再開すると強度の自粛要請のプレッシャーを掛け、その結果として、世論からの批判も高まることになる。

行政が全ての問題に対して補償を行うのは現実的ではないが、全てを自粛要請で済ませるのも現実的ではない。行政は休業要請を出して、それに従わなければ悪だという態度を取るのではなく、現実的な解決策として、感染リスクを下げるためにはどのような基準を守るべきかを提示すべきである。そして、個別の興行主はそのルールに従いながら、感染リスクを低下させつつ、興行の継続を目指す。

現状のあり方は不誠実というよりは、誰が責任を負うべきかの押し付け合いをしているようにしか見えない。立場の弱い興行主や選手は感染を拡大させるという世論の批判に弱く、一方で、通常の興行を再開させれば、事実であるかどうかに関わらず、感染を拡大させた批判されることになる。行政としては休業要請を出すだけで感染拡大の批判から逃れられるだけでなく、休業補償すら出さなくて良くなる。行政がしっかりとしたお金が出せないのであれば、アイデアを出すべきであり、少なくとも長期間の休業要請は避けるべきである。

 

日本人の行動において、スポーツイベントだけでなく、いろんな非日常的な活動が止まっているが、一番再開の目処が立たないのが海外旅行だと思う。確かに、日本の周りには日本よりも感染リスクが低い国がある。それらの国との間で、ビジネス理由による移動がどこかの段階で認められることはあるだろうが、通常の海外旅行が認められるのは当分先の話だと思う。そもそも日本人に来て欲しくない国はあるだろうし、それに、日本も海外の人を普通に受け入れられる状態にない。

例えば、中国人や韓国人の中にも日本に観光に来たい人は沢山いるだろう。旅行業者や宿泊業者は喜んで彼らを受け入れると思うが、一方で、観光地に住む普通の人たちがどのような態度で受け入れるのかがよく分からない。何が適切な反応で、何が過剰な反応かは一概には判別出来ないが、それでも、現状の日本は外国人観光客を普通に受け入れられる状況にはないし、それが近い将来において改善させるようにも思えない。結局は心理的な問題のため、それぞれの人に安心感が生まれるまでは厳しさが残ると思う。そして、このような感情は日本人が向かった先の現地の人も抱いている。

そうなると、日本人は日本国内の観光地に行くしかなくなる。ただし、現状においては、外国人の観光客が受け入れられないのと同じように、地方には都会からの観光客に対する不信感がある。それは不信感に過ぎず、現実的には旅行による移動が禁止されているわけではない。そういう意味では、現状の時間が過ぎて行けば、心理的な問題は解消されていくのかも知れない。

一方で、今後、都会を中心に感染が再拡大した際に、通行規制の問題を考えた方が良い。日本全国に一律に緊急事態が宣言されたのは、都会から地方に向けて人の流れが生まれたからだと説明されている。

もしそれだけが理由なのであれば、地方に住む人たちの行動を規制するのではなく、人の流れだけを規制すれば良いはずである。ここまでの対策において、パッチワークのように政策を組み合わせて来たのは仕方がない側面もあるかも知れないが、次に再拡大が起こる際には、これまでの経緯があるため、どのような問題が起こるかはより分かりやすくなっている。それに基づいて、より適切な政策ミックスを導入する準備をしておいた方が良い。そして、その一つとして、都会において再び感染が拡大して、行動を制限しなければならないような事態に陥った際は、地方の住民の行動を同時に抑制するのではなく、都会の人たちの移動だけを抑制した方が良い。

 

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